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空と太鼓

北海道岩見沢市の「atrier 花*杢」 太鼓の製作・演奏/造形制作/身近な自然と生活について /空と倉庫という猫ブログもやっています。

2017年1月1日 今年を始めるにあたっての覚え書き

昨年の忘年会の話の中で、なんで神宮に太鼓の祈祷に行ったのか?という話になった。
その時は、「太鼓の第一号ができたので、記念として祈念を・・。」(駄洒落か!)
と歯切れの悪い言葉しかでてこなかったが、どうも気持ちがストンと落ちないままだった。


その日の夜にネットを見ていると、
「日々太鼓日和」の長谷川さんが、自分の想いと繋がる話を書いていた。

北海道神宮神前にて(撮影:花)

以下、長谷川さんのブログより拝借。

太鼓の原点は理屈を超えて身体に響くその力
理を超えたその力は
古今東西、
神々との
あるいは精霊
あるいは人の五感の捉えるうちの理を超えた存在との
交信に用いられた。
そんな存在との交信をする人々を

“巫”と表す。

“工”と“人人”からなる“巫”。
“工”は神に伺いをたてる際に用いられる「祭器」
“人人”は「祭器」である“工”に添えられた左右の手を表す。

祭器を左右の手で操り神に伺いをたてるの意。

…と、ここまでは白川静の大著『字通』による。
“工”に関しては祭器、神器、呪具であるとしか書かれていないけど…
ここから先は俺の想像ね。

上の横線を天
下の横線を地
天と地のつながりを縦の線に
抽象して表したのが
“工”であり、
そこに左右の手“人人”
人為を加え
神が舞い降り立ち昇る
天と地のつながりを明らかにする、


“巫”という字の持つ意味なんじゃないかと。
天と地のつながりを明らかにする人々

“巫”。

そんなことをね、フと。
どうでもいいことのようだけど、
太鼓ってなんなの?って考え出すと、
どうしてもそこに辿り着いてしまう。

同じようにヒトを考える時、
神々や精霊を無いモノとして考えるか
それを在る前提として捉えようとするか
前提の違いで世界の見え方は大きく変わる
結構大事なことだと。

こんな時代だけど
こんな時代だからこそなのか
もしくは時代とは無関係に
見えない力に焦がれ
見えない力を降ろしたい
天と地を繋ぐ一筋を
明らかにしたい
この手に…

そんな“巫”の血を宿した人々が
この世には少なからずいるのです。

後略(以上、拝借文)


北海道神宮の森にて(撮影:花) 


願わくば、
天と地を繋ぐほどの力をもった音を、
叩いたその場所の磁場を変容させるくらいの力をもった音を
ゼロから自分で作った太鼓をもってして、そんな音を響かせたい。
その想いを持って、今年も太鼓を作ろうと思う。

今年は、この太鼓をもって、演奏の旅に出る予定。
自分の気になる場所に行って、その場の空気を感じながら、
場と一体となった音を求めていこうと思うのです。

 (北海道神宮にて撮影:花)

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杢 内山 貴雅
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