今年10月に開催される、恩師“丸山隆”の作家、教育者としての足跡をたどる「丸山隆と教え子」展のため、久しぶりに先生のアトリエを訪れ、作品の状態チェックを行った。先生の生前に作業のお手伝いで何度も通い、「いつかはこんなアトリエを。」と考えていた事が思い出される。
同時開催で行われる鴨々堂での企画展では、先生愛用の品を集めて「丸山隆」の思考・嗜好を明らかにしようという試みも行う。学生時代、彫刻制作ではあまり熱心な生徒ではなかったが、先生とはずいぶん懇意にさせせていただいたので、この機会に出来る限りの協力をしたい。
今手元にある先生ゆかりの品は、コールマンやMSRのバーナー、スウェーデン製の斧、赤のダーミザクス製のレインコートなどアウトドアの品々が多く、ここが、自分と先生の嗜好の共通点だったということなのだろう。
どの製品も、見る人が見れば「おお!」と思うようなもので、先生の嗜好のこだわりというか選択基準が見て取れる品々ばかりだ。
その中で、受け継いだまましまい込んでいたものがある。それは、先生が使用していたテントだった。頂いてすぐに立ててみようと思ったのだけけれど、どうもポールが足りない。聞いてみると、作品に使用したようだとのこと。メジャーなメーカのものならば、寸法などの仕様もすぐに調べられるのだが、そのテントはLATERRAというメーカのもので既に廃盤品であり、情報がごく少なかったため、そのまましばらくしまい込んでいたというものだった。
この展覧会を前にして、グッドタイミングでテントの仕様がわかる情報を手に入れた。早速ポールを購入し、テントを立ち上げることができた。
立ち上げてみて分かったのだが、テントは“ジオフレーム型”というポールのみで完全自立するタイプのもので、構造上非常に強い形だった。「やはり“構造”というものを重視していたのだなあ。」と、先生のどこまでも彫刻的感覚を追求する姿勢を改めて思い知らされた。
現在私は彫刻作りをストップして、太鼓の制作を行っている。その太鼓作りの基礎を知る事ができたのは「内山伸治」さんという方の存在が大きかった。
内山さんはクレイジャンベという陶器によるジャンベ作りをしており、ジャンベの制作者としては「レジェンド」的な存在で、HPでは「こんなに出してしまって良いの?」というくらいにジャンベの制作の様子を詳細に示されており、私はそのHPがあったから太鼓製作を始める事ができたと思っている。いつかお会いしたいと考えていたのだが、昨年の秋頃に急逝されてしまったと知ったのは、昨年末のことだった。
そんな内山さんの遺された太鼓のひとつを、グランジ工房の長谷川さんから声をかけていただき、譲り受けることとなった。太鼓は径が22センチ、高さが44センチという小振りなもので、皮はなんと“イノシシ”。なかなか手に入るものではないので、どんな音になるか今からとても楽しみだ。
グランジ工房 日々太鼓日和
グランジ工房さんはアタバキ・パンデイロなどの太鼓製作を中心に様々な太鼓を作られている方で、使用する皮に関しても、ご自身で鹿やイノシシをさばく所から行っている。
北海道の雪解けとともに、工房の改修工事も始まっている。学生の頃、丸山先生のアトリエに憧れていた私も、アトリエの理想形を完成させることができそうだ。
2人の“レジェンド”から受け継いだ品々を前に、今年もご縁を頂いた方々との繋がりを大切にしながら、太鼓作りに邁進していきたいと思う。
※画像は小学館 BLUE GIANT より拝借