北海道岩見沢市の「atrier 花*杢」 太鼓の製作・演奏/造形制作/身近な自然と生活について /空と倉庫という猫ブログもやっています。
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太鼓製作のアイデアを求めて、webの写真で「太鼓」と画像検索をして見つけたこの写真。
webのもとをたどっていくと、浦西孝浩さんのブログにたどり着きました。
ブログにはこう書かれています。
「(息子さんの)慶一が養護学校高等部の頃、1997年に北見市福山地区で、一本の柏ナラの大木を切り出し、野山を駆ける鹿の皮を使って13個の太鼓をつくりました。」
この写真は、慶一さんとの思い出を孝浩さんが書かれている記事のもので、それをたまたま私が見つけたということが分かりました。
この太鼓は、アフリカンドラム奏者の砂川正和さんと、イラストレーターの沢田としきさんと一緒に作られたということでした。私はこのお二人の事を始めて知ったので調べてみると、お二人もまた、慶一さんより先に空へ旅立たれていました。
浦西さんのブログの中の一文に、砂川さんの言葉があります。「ジャンベ」の語源についての記述です。私はその文に胸を打たれます。
ーーー以下、浦西孝浩さんのブログより抜粋ーーー
先ほど紹介した慶一も参加した太鼓づくりの時のお話ですがその指導をいただいたアフリカンドラム奏者として、当時は日本の第一人者として活躍していた今は亡き砂川正和さんは、西アフリカに伝わる太鼓、一般的に「ジンベ」と呼ばれる太鼓の語源について教えてくれました。
本来の名前は「ジェベバラ」と言い、その語源はモノとしての固有名詞ではなく「調和」を意味するそうです。太鼓を中心に集いコミュニケーションを図る人の輪。人と人との関わりを語る時、自分と同じ人は存在しない。能力や考え方の違いもあれば、同じことをやっていても人それぞれ感じ方は違います。障がいも含め、人それぞれの個性を、ひとつの命として認め合い、助け合う中で、今、生きる「場」は調和して形づくられている。同じことをする人や同じことをできる人ばかりが集まっても地域社会は成り立たないんだよ。・・・・そんなお話を太鼓づくりの最中に砂川さんは教えてくれました。
(以上 浦西さんのブログより)
写真のブログ掲載使用をお願いするため、浦西さんに連絡をとりました。写真使用の快諾をいただくとともに、2枚の写真が送られて来ました。
1枚目は、イラストレーターの沢田としきさんの描いた絵でしょうか。
沢田としきさんという方は、「アフリカの音」という絵本を描かれていて、ご自身でも太鼓を演奏されていたようです。ファンの方の追悼の言葉が多く、惜しまれつつも亡くなられたということがよくわかります。
浦西さんから送られて来たイラストも、動物も、植物も、人間も一緒になって太鼓のリズムで踊っている、ユーモラスでワクワクするような情景が描かれていました。
そして2枚目はこの写真。私がwebで見つけたものと同じ太鼓たちの写真です。ご自宅に飾っているものなのでしょう。そして、このようなお話を頂きました。
不思議なご縁で繋がりをいただいた、今回の浦西さんとの出会い。
そして、慶一さん、砂川さん、沢田さんとの出会い。
この現世でお会いする事は叶いませんが、「いつか、眠っている太鼓を呼び覚ましてくれ。」
そんなメッセージを託されたのかもしれません。
もし、可能であれば眠っている太鼓たちに、もう一度命を吹き込んでみたい。あげたい。
そんな想いを、ひそかにかみしめた出来事でした。